2011年11月7日
主イエスよ、私たちが御心を行うことを妨げる罪の破壊的な力と有害な欲望からの勝利をあなたは与えて下さいます。私が常に良いものを選び、悪いものを拒むために信仰の強さを与えてください。主よ、私の心を支配してください、そして、あなたの助けを必要とする人々を導き、また私を害する人々を許すことができますように。アーメン。
2011年11月8日
主よ、取り上げて、
受け入れてください。
私の自由を、私の記憶、私の理解、私の意思のすべてを。
私がもっているもの、自分のものと呼んでいるすべてのものを。
私がもっているものはすべてあなたが私に与えてくださったもの。
これらすべてをあなたにお返しし、あなたのみ旨に委ねます。
ただあなたの愛と恵みをお与えください。
わたしはそれで満たされ、
それ以上は何も望みません。
2011年11月9日
(今日のミサはラテラン教会の献堂の記念です。)
ラテラン教会は教皇による教区の教会なので、
この教会は世界中のすべての教会の母です。
だから、ラテラン教会の献堂はすべての神殿の献堂です。
教会で人間は神に会うことができます。
今日の福音には「イエスの言われる神殿とは、
御自分の体です。」と書いてあります。
それから、使徒パウロの手紙も、
私たちの体が聖霊の神殿であることを語ります。
だから、私たちの命は神にとって、 非常に必要なのです。
神殿を通して、私たちは神と、イエスと、聖霊と つながっているのです。
神を愛することは、イエスを愛することです。
そして、イエスを愛することは、イエスの教会を愛することです。
私たちも神の神殿としての自分の体と命を愛することができますように。
2011年11月10日
ファリサイ派の人々はイエスに 神の国はいつ来るのかと尋ねました。
イエスは答えて言われた。
神の国は見える形では来ない。
実に、神の国はあなた方の間にあるのだ。
そして、あなた方の心の中にあるのだ。
イエス・キリストよ、
御国が来ますように、
御心が天に行われる通り、
地にも行われますように。
私の心の支配者になり、
私の生活の師となってください。
そして、私がいつもあなたの愛と真実の自由に 生きることができますように。アーメン。
2011年11月11日
私たちは誰でも、
待ち望むことあるいは希望することがあります。
しかし、時々、望まないことが起こり、
本当に待ち望んでいることは起こりません。
キリスト者として私たちは何を待ち望みますか。
イエス・キリストが来ることではないでしょうか。
人によって、イエスが来られる仕方は、さまざまに異なります。
その仕方の中には私たちが望まれないものもあるかもしれません。
しかし、イエスに信頼し、
イエスを愛している私たちは
イエスが来るのを待ち望んでいるので、
今の生活の中でいつもめを覚まして気を落とさずに絶えず
神に祈りましょう。
2011年11月12日
この世の中では、
悪霊の力はまだとても強く、
暗闇は光を飲み込み、
悪は善よりほうが強いように見えます。
寂しく、不正に苦しむ未亡人もいるし、
搾取されて虐待される女性や子供もまだいます。
この世を見ると、キリスト者は信仰が揺らぐかもしれません。
私たちは弱さと無力をよく感じます。
時々自分は神がどこにいるか分かりません。
しかし、イエスは、気を落とさずに絶えず
祈らなければならないことを教えてくれました。
私たちの神は愛の神です。
主よ、私たちの信仰を強めてください。
私たちが神の効果的な道具となることができますように。
アーメン。
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